あゞ 追憶の紫電改RE-78



 一般的に伊太利屋 紫電77/BMWについて書かれている記事は沢山ありますが、翌年デビューした紫電改RE-78に関して書かれた記事は本当に少ないと思います。
 基本的に紫電改は紫電77が進化したクルマとして語られておりますし、形容詞には必ず『モディファイが進めば進むほどカッコ悪くなった』と書かれております。しかし私は知っています。カラーリングは別として、最後の紫電改は、結局最初の紫電にほぼ戻っていた事を。

 そこで今回は紫電改にスポットライトを当てて、その進化と如何にして終了したかを纏めていきますが、まず最初に1978年の富士グラチャン(GC)シリーズと富士ロングディスタンス(LD)シリーズの日程を纏めました。実は紫電改の変化を語るに、このレースカレンダーが意外な伏線として重要な要素を持っているのです。

78 富士グランチャンピオンシリーズ【全5戦】
  • 第一戦   3/26 富士300キロスピードレース
  • 第二戦   6/3   富士グラン250キロレース
  • 第三戦   9/2   富士インター200マイルレース
  • 第四戦 10/8   富士マスターズ250キロレース
  • 最終戦 11/26 富士ビクトリー200キロレース*

78 富士ロングディスタンスシリーズ【全三戦】
  • 第一戦   4/9 全日本富士500kmレース
  • 第二戦   7/23 全日本富士1000レース
  • 最終戦 10/29 全日本富士500マイルレース

 このレースカレンダーを暦の順に並べると次の様になります。
  1. GC Rd.1   3/26  富士300キロスピードレース
  2. LD Rd.1   4/9    全日本富士500kmレース
  3. GC Rd.2   6/3   富士グラン250キロレース
  4. LD Rd.2   7/23  全日本富士1000レース
  5. GC Rd.3   9/2   富士インター200マイルレース
  6. GC Rd.4 10/8   富士マスターズ250キロレース
  7. LD Final 10/29  全日本富士500マイルレース
  8. GC Final 11/26 富士ビクトリー200キロレース*
*は紫電改が参加しなかったレース

 紫電改は前年までのフルオリジナルの紫電77/BMWと違って、シャーシはマーチのレプリカでした。高原敬武選手が1978年富士GC開幕戦に持ち込んだそのクルマは、前年までの紫電77とは大幅に違うスタイルが与えられておりました。
  • フロントカウルの先端にオイルクーラーを装着。
  • ルーフトップがオープンスタイル(これは前年の富士1000kmから)。
  • ショートテールに加え、リアカウルとは独立したリアウイング。
  • ヘッドライトはダミー。
 一見しただけでも紫電77とは大きく違っておりました。さらに言うと、ロールケージもシャーシがマーチのレプリカですから、マーチと同じロールケージとなっております。

 GC第一戦のスターティンググリッド 隣は前年、高原選手が導入したシェブロンB36。に乗る故 高橋健二選手。このシェブロンは伊太利屋カラーの名残がある。


 また大人気だった伊太利屋 紫電77/BMWに比べても、その伊太利屋カラーの塗り方(デザイン)が雑だったと言うのも人気を落とした理由にあるのかも知れません。

 1978 富士GC 第一戦を走る  伊太利屋 紫電改 RE-78

LDシリーズ開幕戦での伊太利屋 紫電改。高原/従野組と言う珍しい組み合わせでの参戦。


この仕様で78年シーズンは富士GCと富士LDシリーズのそれぞれの開幕戦の二戦に参加しております。

 そしてある意味、紫電にとっての人気の低下の始まりはGC第二戦、静マツレーシングにレンタルされてからだと思うのです。

 白いカラーリングに戻された紫電改RE-78。主の高原選手はマーチSPL(マーチレプリカ)を用意。しかしこれは時間軸で考えても変な話しで、GC開幕戦が3月。5月にLDが開幕、6月にGCの第二戦でしたから、時間的に考えても最初から紫電改を捨てる気だったのか?或いはマーチレプリカで最初から行こうと思っていたのか?そこは分かりませんが、少なくともLDの開幕戦時には、次のGC第二戦はマーチレプリカで行こうと決めていたと思います。それでなければクルマの準備期間が6月のGC第二戦には間に合いません。

1978年 GC第二戦で登場した伊太利屋Spl(マーチレプリカ)。厳密に言うとこのクルマこそ紫電改78とは兄弟車となる。撮影:Hiromitsu Iwata



翌79年シーズンの元 伊太利屋SPL。関谷選手のドライブでGCに、オーナーの川口氏のドライブでLDに参加した。


 同時に紫電改を借り受ける静マツレーシングもお金の用意、タイヤの供給(BS→DL)、エンジン(13B)の段取り、と間に合いませんから、もう4月位には話しが進んでいたと思われます。

 そして迎えた6月のGC第二戦。関谷選手のGCデビューとなった紫電改は若干のモディファイを受けて登場します。フロントカウルにあったオイルクーラーの部分にカバーを付け、カラーは真っ白に戻されております。レースでは激しい雨の中、フロントガラスが曇って前方視界が確保できず、関谷選手は黒旗を受けてしまい走行中断。激しい雨の中、レースは大荒れになり多くのクラッシュや赤旗中断が繰り返されました。

GC第二戦からエントリーした静マツ紫電改RE-78

 そして次のレースが7月に開催されたLDシリーズ第二戦 富士1000kmレース。このレースで紫電改は決定的な悪評価を立ててしまったと考えられます。
  • フロントカウルに冷却系を設置し大型のカバーを装着。結果、車のイメージはオリジナルと大きくかけ離れてしまう。
  • エンジン上部に大型のマーチ用と思われるインダクションボックスを装着。

富士LD第二戦に登場した静マツ紫電改RE-78。このスタイルがあまりにも紫電77とかけ離れていて『かっこ悪くなった』と言われる所以と考えられる。


 決勝でも足回りのトラブルでリタイヤと低迷が続いていましたが、実はこの頃から紫電の最終バージョンの準備は進んでおりました。リタイヤした関谷選手が当時『もう次のバージョンは出来ているんだけどテストする機会がなくて』と言っていた記憶がいまだにハッキリと残っております。

貼られているロゴから判断して富士1000kmレースと思われる。


 また『あの頃はクルマが良いとか悪いとか考える事もなかった。とにかく出て走る事が全てだったから』とも言っておりました。

こちらはロゴから考えてGC第三戦 富士インター200マイルレースと思われる。 撮影:谷 智樹


 このスタイルでGC第三戦〜四戦に参加。そして10月末に開催されたLDシリーズ最終戦(第三戦)に向かいます(GC最終戦は11月開催)。

GC第四戦の静マツ紫電改RE-78


 このLD最終戦で紫電改は紫電シリーズとしても最も完成形に近い、また結果的にオリジナルに近い、劇的なスタイルとなって登場します。


  • フロントカウルはオリジナルの紫電77(1977 LDシリーズ第二戦 富士1000kmスタイル)のタイプに戻る。
  • エンジンカバー上にあったインダクションボックスは廃止。
  • サイドウインドゥ後ろのエアーインテークは両サイド共に大型化。
  • リアカウルのエンジン後端の上面に冷却系を設置。エアインテークからフレッシュなエアを取り入れて冷やし、リアカウル上面に排出。
  • リアカウルはオリジナル紫電77タイプに戻す。
  • リアウイングは77でリアカウル内にあったものをカウルの上部に、より左右幅を拡げたタイプのウイングを装着。



 これで紫電は本来のポテンシャルを引き出す事に成功。充分なダウンフォースで最終の高速コーナーを抜け、セミクローズドボディの特性とロータリー特有の高回転の伸びでストレートは充分に速く、熱を発する冷却系が前方に無くなった事で雨でもワイパーが要らずに曇らず走れた言う、この紫電の当初の狙ったコンセプトへと最も近づいたのではないか?と思うようなパフォーマンスを魅せました。

TSサニーに追突し、下に潜り込んでしまったと言われているが、この車高の差を考えると…



 ガレージ伊太利屋がポルシェ935を出してきた事で記憶に残っているレースですが、このレースは片山レーシングと原田レーシングカンパニーのタイトル争いの関係から、紫電改はいつもの静マツレーシングからのエントリーではなく、原田レーシングカンパニー【HRC】からのエントリーとなり、星野/長谷見組のアルピーヌ・ルノーA441と関谷/泉水組の2カーエントリーの1台として参加いたしました。

 が、しかしながら泉水選手のドライブ中のクラッシュから炎上。前年から始まった紫電は、その一連の流れをこの瞬間に終える事になります。

紫電77から始まり紫電シリーズ最後の勇姿となった紫電改78-RE 最終Ver.。この姿を見た人は本当に少ないと思います。写真を快く貸して頂いた谷 智樹氏には厚く御礼申し上げます。

 多くの写真をかき集めて紫電改の変貌を纏めました。そして敢えて成績は省略しました。纏めている中で改めて思ったのは〝勿体ないクルマだった〟と言う、その一言だけです。
 歴史に〝たら・れば〟はありませんが、第一回目のWEC JAPANに復活できなかったのか?(マーチ74Sが出ていた訳で)など、キリが無い想像が膨らみますが、しかし全てはこのLDの最終戦で終わった訳です。
 最後はあの流麗なスタイルに戻った訳ですから、基本的な考え方は間違えて無かったと断定して良いのではないでしょうか?
 そう考えると〝紫電はかっこ悪くなり最後はクラッシュして終わった〟と言うのは流石に話しを短絡的にし過ぎていること。シャーシから考えると前年のモデルから引き継いだのはカウルの一部だけで、実はマーチレプリカの兄弟車であり、紫電77をアップデートしたクルマとは言い難いのではないか?だと言えるのでは無いでしょうか?

 ところで以前、ムーンクラフトでMCSシリーズに深く関わった方に紫電についての話しを聞いた事があります。

 『紫電77はクルマをゼロから作ると言う意味で思い出深かったよ。色々あったにせよ。紫電改?あれは思い入れは無い。だって全然違うクルマでしょ?シャーシはマーチだったよね?だからあれ(紫電77)とそれ(紫電改)は全然別のクルマなんだよ。』

 ところで最後に疑問を一つ投げかけます。紫電には77のクーペとセミオープン。そしてマーチシャーシの紫電改があった訳ですが、完全なオープンボディの紫電があった事をご存知でしょうか?


 どうも東京レーシングカーショーで飾られていた様なのですが、関係者に聞いても『記憶に無い』と言う回答しか得られておりません。
一応、解説をすると

  • 77年富士1000kmの時のフロントカウル
  • 77年幅のリアウイングをリアカウル上面に設置
  • ロールゲージから判定してマーチシャーシ
  • そしてGRDの様なコクピット周り

こう言う案もあったのかな?と思う車体です。
*ファイバー製の半透明のシートが着いていますので、本物の車体と思われます。

このクルマはどこに行ったのでしょうか?



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